不来方から
不来方から
盛岡管轄区の教会報「不来方から」の一部の記事を抜粋して掲載します。
10月号
巻頭
「懼るるなかれ、今より後、爾人を漁らん」
キリスト教は宣教する宗教です。その教えの素晴らしさを宣べ伝え、新しい信徒を獲得し、今まで福音が伝えられてこなかったところに神の救いを告げ知らせるという働きが宣教です。宗教は宣教するものだ、と当たり前に思うかもしれませんが、世の中には案外宣教に積極的でない宗教もあります。例えば神社が新しい氏子獲得のために奮闘している姿はあまり目にしませんし、ユダヤ教は基本的には血統で繋がっていくので、外部宣教にはあまり熱心ではありません。一方キリスト教はハリストスご自身から「行ってすべての国民を弟子にし、父と子と聖神の名によって洗礼を授けなさい(マトフェイ28:19)」と命じられており、宣教することは教会の使命そのものです。
さて、今年の10月の主日聖体礼儀で読まれる福音書の中で2か所宣教や信仰の始まりについて述べられている箇所があります。第15主日にはペトル、イヤコフ、イオアンの3人の漁師が主の弟子となった出来事が読まれます。ペトルたち、湖の漁師たちの舟にイイススが乗り込み、イイススは網を湖に降ろして漁をしなさいと彼らに命じます。一晩中漁をして一匹の魚も得られなかった彼らは半信半疑ながらもイイススの言葉に従い網を下ろすと、今度は網がちぎれそうなくらい魚がかかり、彼らはイイススの奇跡に恐れおののきます。イイススは彼らに人間を獲る漁師になりなさいと命じて彼らを弟子にしました。
この新しい弟子たちはやがて使徒と呼ばれて世界中に主の福音を伝える役割を担うものとなりました。イイススによって得られた「魚」が今度は次の魚を獲る「漁師」となるのが教会の古代からの在り方です。教会に導かれた私たちは単なる教会の客ではなく、一人一人が教会の役割を負ったスタッフとなるのです。司祭や役員がスタッフで、一般信徒はお客さんという構図ではありません。
また第18主日には種を播く人のたとえ話が読まれます。主の福音はいたるところにばらまかれた種に例えられます。道端に播かれた種は鳥に食べられてしまって芽吹かなかった。あるいは、石ころや雑草だらけの土地に播かれた種も、根が張らなかったり、芽が出たとしても雑草にさえぎられたりして成長できなかった。しかし良い土地に播かれた種からは芽が出てぐんぐん成長し百倍の実りを得ることとなったとイイススは言います。主の福音はあらゆる人に伝えられますが、それが実りをもたらすかどうかはそれを受け取る人の心持ち次第です。受容する気のない人、この世の他の楽しいこと、あるいは心配事に気を取られている人は残念ながら信仰を育むことはできないかもしれません。
しかしそれも種をばらまいたからこそ言えることです。最初から種を播かないならば芽吹かないのは当たり前です。どんなに良い畑だったとしても種を播かなければそこに何の実りがあるでしょうか。何も生えてこないのです。私たちは今度は「農夫」として主の福音の喜びという種を様々な場所に播くことが主から期待されています。
私たちは主の教会の漁師であり農夫であるということを忘れてはなりません。私たちが教会を喜びとし、主の福音に照らされて明るく生きる姿によって、たくさんの魚が舟の周りに集められます。また身近な人々を教会に招くことが、その人の心の畑に小さな種を投じることになるのです。「宣教」という主に命じられた教会の使命を今一度改めて心に留めて日々を送りたいものですね。
エッセイ
「手仕事」
10年ほど前に縁あってオーストラリアの修道院に2週間ほど滞在したことがあります。キャンベラから数時間ほどの山林と牧場地帯の中というロケーションで、オーストラリアのとてつもない広さと手付かずの自然に驚嘆した記憶があります。その修道院は見習いや短期滞在者も含めて10数人程という小さなコミュニティで、修道院長の方針で皆なるべく手仕事に携わるようにという指導がなされていました。院長自身もイコン画家として、板絵やフレスコの制作を行っていましたし、修道士たちは陶芸、養蜂、ロウソク作りなどで修道院の運営資金を得ていました。また生活に関する部分でも、調理、車の修繕、森での薪集めなど、まさに修道院らしい「祈り、働く」という生活がなされていました。私も調理と薪集めの手伝いを命ぜられ、台所や森で清々しい汗を流しました。
さて、その後私は神学生になり、今はこのように教会をいくつか預かって司牧、管理する立場となりましたが、日々の生活の中で、改めてこの修道院で学んだ「手仕事」「体を動かす仕事」の大切さを思い出します。まさに今もそうですが、パソコンの前に座って原稿を書いたり、会計帳簿を付けたり、各所に連絡を取ったりするのももちろん重要ですが、パンをこねたり、境内の花壇を世話したり、聖堂の物品を作成したり、身体を使う仕事はより健全であると実感します。手仕事では、身体が覚えている動きを淡々としたリズムで行い、脳みそはフル回転しません。仕事のコツコツとしたリズムの中で、より無心になっていき、その思考の余裕の部分に祈りが満たされます(もちろん逆に雑念が入ることもあるのですが…)。仕事のリズムが祈りのリズムになり、仕事の達成の喜びが祈りの喜びと一体となるのが、修道士の手仕事の効果といえます。
歴史的に振り返れば、確かに修道士の仕事とは手仕事でした。4世紀前後のエジプトの砂漠にルーツがある修道生活ですが、古代の修道士は砂漠に一人で、あるいは数人の共同体で村を作り、そこで祈りと節制の生活を送りました。彼らも生活の糧を得なければならないので、そんな彼らが選んだ労働は手仕事でした。彼らは川やオアシスに生えている植物を刈り取ってきて、繊維をほどき編み上げてゴザやザルを作っては村に売りに行き、パンや野菜を得ていたそうです。古代の修道士のエピソードを集めた書物によれば、中には祈りに集中し過ぎてとてつもなく長いゴザを編んでしまっていることに気付かなかった長老もいたとかいないとか。
「祈り、働く」というテーマは必ずしも修道士だけのものではないと思います。私たち在家の信徒もまた彼らと同じように祈り、働く生活を送るべきだし、日々の簡単な手仕事の中にそれを見出すことができるのかもしれませんね。
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2024年9月号