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​不来方から

​不来方から

盛岡管轄区の教会報「不来方から」の一部の記事を抜粋して掲載します。

8月号

​巻頭

「我等罪なる者にも、爾の永在の光は輝かん」

 8月19日、私たちはハリストスが三人の弟子を連れて山に登り、そこで光を放つ姿を顕したことを記憶します。この光は私たちの知っているどのような光とも違う光でした。なぜならばそれは、神に創造されたこの世界の光、すなわち太陽や稲妻の光などとは違い、神そのものが放つ造られざる光だったからです。普段はハリストスの持つ「人間の性質」のうちに隠されている「神性」が光を放ちました。弟子たちはこれを見て驚き畏れ、ペトルなどは頭が混乱したまま何かを口走っていました。

 ハリストスはご自身が何者なのかを示すためにこの奇跡を顕しました。また主が光り輝く姿に変容した時に、天から「これは私の愛する子、私の心にかなうもの」という声が聞こえてきました。弟子たちはその時すぐには、この出来事の意味を悟らなかったかもしれませんが、この体験に大きな感動と衝撃を受けたはずです。聖使徒ペトルは後に手紙の中で「私はハリストスの威光をはっきりと見、天からの声を聞いた」と書き残しています。ペトルにとってこの光の体験は、主の復活の目撃と並び、彼の堅い信仰の基になったのです。彼が言った通り「私たちがここにいることは素晴らしい」としか表現できない出来事だったに違いありません。

 そしてもう一つ重要な点は、この出来事は「神性」の出来事であると同時に「人間」の出来事でもある、ということです。主は光輝いた時に、決して人間の姿を失ったわけではありませんでした。イイススの人間としての身体が真っ白に輝いたのです。主は人間の肉体を通じて神の栄光を輝かせました。イイススはご自身の神の本質を見せただけではなく、人間の持つ極限の可能性をも示したのです。私たち人間が本当に神とともにあり神の栄光の近くにいるのならば、神の栄光が私たちの肉体を通じて光り輝くことさえある、と正教は教えます。例えば、サーロフの聖セラフィムと親しく会話をする機会のあったとあるロシアの男性は、セラフィムの顔が光り輝き、まともに直視できないという体験をしたと書き残しています。聖セラフィムは、まるで鏡のように神の栄光を反射して、この世に神の光を伝えたのです。

 ですから私たちはこの顕栄祭の祭日にあたって、私たちの主が本当の神であること、そして神が人間になった方がそうであったように、私たち人間も神の栄光を反射し輝かせる可能性を持っている、という喜びを記憶しましょう。神の偉大さと人間の輝かしい可能性が栄光の中に示されました。その神の栄光の前で、私たちはこのように声を上げることしかできないのです。「私たちがここにいることは素晴らしいことです!」と。


 

エッセイ
​船

 教会はしばしば船に例えられます。世の荒波から私たちを守り、また私たちを「神の国」という目的地に運んでくれるからです。私が神学生だった頃、聖体礼儀の開始の鐘つきの役割を任されていました。祈祷開始の10分前からゆっくりと鐘を突き始めるのですが、鐘楼から下を眺めていると「なるほどこれは船だな」といつも思ったものです。最初の鐘が鳴ってあわてて聖堂に駆け込んでくる人、練習を終えて集まってくる聖歌隊、下から見上げている通りがかりの人々。「船が出るぞー」という合図の鐘を聞いてみんなが港から船に乗り込んでくる光景のように見えました。船は「聖体礼儀」という船旅に、今まさに出航しようとしているのです。

 さて、船には様々な役割の人が乗り込んでいます。船長を始め、船を動かす航海士や機関士、通信士や水先案内人。船医、乗客にサービスをするパーサーやスチュワード、あるいは料理人、ガードマン、また皆を楽しませるエンターテイナーも乗っているかもしれません。船にはありとあらゆる人々が乗っていて、それぞれのスタッフは船が旅の目的地まで無事にたどり着けるように自分の役割を精一杯果たしています。

 教会も同じことです。船のオーナーであり船長であるハリストスを筆頭に、聖職者や教師、誦経を読む人、聖歌を歌う人、食べ物を用意する人など様々な人々が「乗組員」として乗船しています。私たちは神の国という目的地を目指して船に乗り込んだ「乗客」ですが、それと同時に船の「乗組員」でもあります。教会においてはすべての人に役割と意味があります。これは別に奉仕を強要しようと言っているわけではありません。例えば教会に来て笑顔を見せてくれるだけでも、ほかの乗客たちにとってこの上ない喜びとなるのです。それはささやかなことかもしれませんが大変大切な役割です。

この船旅において乗員はあらゆる乗客のために自分の仕事の最善を尽くします。航海士は航海士の、サービスマンはサービスマンの責任を果たすでしょう。乗客はそのように働いてくれる乗組員たちにいつも感謝と尊敬の気持ちを持つことでしょう。彼らに支えられて、この船旅は安全で楽しいものとなるからです。私たちはサービスを享受する乗客でもあり、サービスを与える乗員でもあり、それがこの「船」の醍醐味なのかもしれませんね。

それでは皆さん、良い旅を!

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